名前をよぶ声

 

18年生きたららはその間にものすごい数の名前をもってた

ららは大好きだったキキララからとって ららになって

そのあとに記憶にあるのは、ニャジラにぐれねこ

そこからぐれたん、暴走にゃんこと 激しめだけどとても

ららをよく表していて、あとうめちゃんと、よくよんでいた。

 

サンさんもあだ名は多くて、

サンディーから短くなって、サンちゃん サンコ、サン、サンたん、

わたしはなんでかある期間 マルキーニョスとよんでたり

サンさんがまるく太ってからは、母は最初にとんちゃんと

そしてトントン、とんぺーとよび、

最後にはとんと、よりダイレクトになっていた。

サンさんはとんとよばれるのが嫌そうだとも母はゆってた。

 

呼び名というのはとても不思議で

これはオーラをみるのと似ているところもあるのだけど

誰かの名前を声にするとき、その声(名前)のなかに

そのひとにとっての そのひとへの想いや認識がつまっている

例えば太郎さんが花子さんの名前を「あのとき花子さんは...」と

きのうの話をするとき、その花子さんの名前に意識を傾ければ

ああ太郎さんにとっての花子さん、こんなここちなのかと

自分の胸に太郎さんの認識を感じ取れる。

そのときのなうでなくても、そのときの名を呼ぶ声を思い出せば

同じように それがわかる。

難しいように思われるかもしれないけど

いちどちょっと試してみられたら

(コツは、太郎さんが声にした"花子さん"のぶぶんを

自分の胸にぽとりとおとし、ひろがる波紋の振動を感じとる)

けっこう え!っと ただわかる、その感覚があるかもしれなく

これは最初宇宙に教えてもらい、

最初に試してみたときに、びっくりしたのを覚えています

 

そうしてなんとなくコツをつかむと、さいごはじぶんが

誰かの名前を声にするとき、じぶんでも認識していなかった

じぶんにとってのそのひとが どんなかが、ぱーんとまっすぐ

胸にはっきり 否応無しに わかったりもし

それがそれまでの認識とギャップがあると

とまどう場合もあるけれど、

それじゃあほんとうのほんとうはどうなんやろうとなったとき

声の一滴は 思考よりも確かな場合があり

誰かの名前を声にするとき

それはどうしてもそのままそのものになる作用から

どっちがと見極めたうえでもやっぱり、答えはシンプルな方

ただそうである  声から得た、その感覚にいたることが多いです。

 

じぶんは見えないものはわからないと思われてるかたも

これはむちゃかんたんな情報へのアクセス

そこから感じわかることで

もっとこころをかまえずに、安心してひととの関わりが

もちやすくなったりする、その逆もあるかもしれないけど

予測や期待 不安からの思考のもやもやで

自身のありかた制限をされるより

なんとなくでも、もやもやの奥がわかることで、

ハートのままにじぶんをありやすくなる

名前を呼ぶ声をハートで感じる  よかったらお試しを。