最後まであきらめない

伊藤詩織さんの手記 『Black Box』 読みました。

 

セッションで過去世を聞かれることは

ここ数年ほとんどなくなってからも

自身の思考や行動に、無意識にも

制限や収縮をあたえてつづけるもの

それが「どこからか? なんでなのか?」

というご質問を頂いたとき

その理由は今をこえた

過去世にある場合がときどきあります

それは刻まれた記憶というより

血が覚えている、に近い感じ。

 

今世に影響を与える過去世

そこで浮かびあがる体験で、多く共通する状況が

戦争(双方)、ナチス収容所での迫害(双方)

レイプ(被害者)です。

 

戦争体験がエーテルに鮮明に刻まれると

体験の記録のかたまりは一定の振動を通して

気づくことのない微細さで波紋を送り

ひとは肌や意識のどこかでその振動に触れながら

このとき目の前を生きています。

 

戦争体験は そこで肉体を離れたら終わりではない

その影響は、多い少ないはあったとしても

もしかしたら全転世に その振動はゆき渡るほど

戦争は あらゆる人間体験のうちなによりも強烈で

それは爪のあいだに裁縫の針を刺し続けるみたい

想像外のインパクトが、継続性をもちながら

その衝撃は、拡大よりも、収縮と制限

自身がうみだす可能性よりも、

受容を選び生きるありかたに

ひとの意識をむかわせます

 

戦争という過ちから学び得た認識は守るべきもので

その認識が次なる戦争へのブレーキになり

より平和への意識を際立たせているのだとしても

また、人口の増加とバランスにおいて

それがなければ、ということは、あったとしても

わたしは戦争に、「必要性」としての意味は

いっさいみないです。

戦争も、まして原爆、 ほんとうに、ほんとうに

戦争を行うことの意味は 一寸一ミリもないと思っています。

 

戦争は、ひとの肉体や精神だけじゃなく

そのひとのエーテル層に

治癒しようのない傷を刻みつけます

戦争は、宗教や国家間の戦いなんかじゃない

経済支配と一体になって行われる

究極の暴力であり

その戦争と同じくらいの衝撃で

そのひとの存在すべてを

容赦なく鎌で切りつける行為が

レイプです。

 

それが過去世のことでなく

今この自身の身に起こったことで

そこで受けた恐怖と苦痛、

くまなくわたる 痛みと嫌悪の衝撃は

その後そのひとの日々をどれだけ変えて

どれほどの影響をあたえ

そのひとが、どんな想いを

自身の内に抱えられているのか

同じに感じることはできなくても

その痛みと衝撃を慮ること

とても重要に思います

 

価値のおきかた、取り扱いかた

軸となる秩序を失いばらけてしまった

いまにあっても

ひととして本来あたりまえに備わっている

自分以外の存在を思いやるこころ

それはお金よりも経済よりも発展よりも便利よりも

なによりも大事で、それがなければな

ぜったいにそこは 失ってはいけないところで

ひとをひとと思わないありかた

猫やわんこ生き物たちは、命じゃなくものとして扱われ

土地を生かし守る木々たちは いとも簡単に切り倒される

 

こころのないものやことやひとが

あたりまえのように目の前にひろがって

それがあたりまえに許されているようでも

じぶんは、ひとでありつづける

じぶんを、めのまえのそのひとを

わかろうとする

頭じゃなく、感情でもなく、

ハートから。

とても大切に、重要に、思います。

 

手記『Black Box』を刊行された

ジャーナリストの伊藤詩織さん

読み始めてから最後のページに至るまで

どのページからも、彼女の覚悟を感じました

向けられるバッシングや

政治的な理由で受ける攻撃への不安

なにより自身の負った傷口が

おもてへと出ることでさらに痛みが深まることも

覚悟のうえで

現行の司法システム、被害者に対して不寛容な

社会のありかたを変えようと

見えない権力構造にたちむかい

これ以上、大切なひとたちや

暴行にあい傷ついているひとたちを

自分と同じような目にあわせたくはない

その一心で 自身の体験を言葉にし

訴えられている詩織さん

彼女を動かしているのは

被害にあわれたひとたちが

報われないまま 苦しみのなかにいる

出口がみつからないままの 声なき声であり

なにより、彼女がそうして立ち上がることは

彼女が彼女であることの

最大の表明であり

 

勝手にだけど、感じることは

ほんとうにたくさんのひとの想いが 彼女をおしあげ

そしてもみの木みたい、ともにいて

その集まる想いは傷をおおい

彼女をすべてから守るように

葉にあかりを灯すのを、

大きな想いで温められているその確かさを、

彼女の存在から感じます。

感情からでもない、思考をこえた

たましいから動いている、

そのときひとは、絶対にひとりじゃない

 

本に書かれていた言葉、

「レイプは魂の殺人である。

それでも魂は少しづつ癒され、生き続けていれば、

少しづつ自分を取り戻すことができる。

人には力があり、それぞれに方法があるのだ。

私の場合その方法は、真実を追求し、

伝えることであった。... 」(p254 「Black Box」)

 

性暴力は 戦争とおなじに

そのひとの、肉体、精神、意識すべてへ

長きにわたってダメージを与え続けます

戦争、レイプ、暴力行為を

ひとりひとりの意識、

そして社会の総意、集合意識が

そんなこともどこかではあるのだと

どんな被害や痛み暴力も苦しみも

それを変わらず他人事として受容し続ければ

今後最終、その影響が最大にゆくところは

(いまもじゅうぶんに思うけど)

全てを生かしてくれている 地球であり

そこに生きている生き物すべて

この濁流と暴力の流れに

唯一ストップをかけられるのもまた

宇宙でも ガイドでもなく

いま生きているひとの、意識だけ。

 

なにがイエスで、なにがノーか

まわりがじゃない、ふつうはでもない

自分自身の認識を 明確にして

自分自身の意見 思いを、表明する

行動、言葉、表現を通して

ただ思い、ただ感じているだけでも

濃縮した一滴は、意識の渦へ投下され

その固有の振動は 全体へと伝わります。

 

詩織さんの訴え、

その声をひとりひとりが真摯にうけとり

世論が変化の必要性の同意へむかい

マスコミも 立ち上がり

深く暗くに巣食う腐ったもろもろが

芋づる式に掘り起こされて

陽の目へとさらされますように

おかしいを おかしいままにしない

あきらめない。

いつでも絶望しようとおもえばなきょうびだけど

それでもあきらめたら終わりだから

体はなれる最後の瞬間まで

あきらめないで、希望の方をみつづけて

この目の前のいまを、大切に、丁寧に、

一歩一歩。

 

アレックスの 残してくれたことば

いま あらためて 胸にひびきます。

 

 

『カンタ!ティモール』監督 広田 奈津子さんインタビュー

 

「自分たちの仲間が十人しか見えなくて、

対する物が巨大で、千人にも見えても、

いのちに沿った仕事というのは

亡くなった人の魂がついていてくれるから、

絶対に大丈夫。恐れずに進んで下さい。

仕事の途中でいのちを落とす事があるかもしれないけど、

それでも大丈夫だから恐れないで。

でもどうしても自分たちが十人にしか見えなくなって

不安になったら、僕たちのことを思い出して。

僕たちは小さかった。

巨大な軍を撤退させるのは奇跡だって笑われた。

でも最後には軍隊は撤退しました。

それは夢でも幻想でもなく、現実に起きたこと。

目に見えない力は僕らを支えてくれたから、

どうか信じて下さい。」

 

 










11月 億万のホタルイカの光

 

いつか会えなくなる前に

感謝や愛はおもいきり伝えたほうがいい

よく見たり聞いたりすることばだけど

会えなくなってことさらにおもうのは

愛と感謝を伝える、それ以上に

会えている、そのともにいる時間を

どれだけ愛しみ 大切にして

おもいきり味わい 楽しめるか

じぶんのほんとうを感じて

それをひっこめずに 表現できるか

そのほうが、はるかに大切

 

感謝でも、愛のことばでもなく

美味しいねって喜びあう 笑顔だったり

こうしよう、ああしたい、そういった

おもいつきを遠慮せずに口にしてみること

そのひとがうれしくなるとおもうことを

そのひとにすることをさけないこと

ともにいる、そのしあわせを 隠さないこと

 

そうしてじぶんが、ただあるがまま

最大に、じぶんでいるとき

そのひとといる

その純粋なよろこびと つきない愛が

感謝の箱につめられて

相手のこころへ、届くのだとおもう。

 

あたりまえに会えているときは

おもいきりそのときを味わうことを

あえてなんでかさけてしまう

それは、

そのひとが存在しない世界を想像できない

自分以上に大切に想うそのひとたちともいつかは

かならず別れは 訪れる

その会えなくなるときへの用心策?から

無意識にも、

今をしあわせに感じすぎないように

感じることをセーブしながらたのしくたのしむ

いまが幸せすぎなければ、

それを感じることがいつかできなくなったとき

あとにその落差がすくなくなる

そのために、なるべくいまを フラットに

 

みんなですごせる時間のかけがえのなさを

胸の内では激しくかみさまに感謝しながら

その貴重さを ひたすらに祈りながら

そこでのみんなとの実際の関わり方は、

自分自身のありかたは

つねにどこかセーブして、たんたんを意識して

はしゃぎすぎないで、喜びを求めないで

愛しさを隠して、うれしさをひっこめて

幸せを感じるアンテナを セーブして

そんなふう、ずっとわかれのときまで

わたしはいました

父にも、サンちゃんにも

同じころ別れを知った 智子さんにも

 

その自分よりも大切なひとたち

そのひとたちとあたりまえに会えて

あたりまえにときを過ごせていたそのときに

もっと、もっともっともっと幸せを

感じることを、それを感じ、その喜びを

あるがままにその場で表現することを

じぶんに許せていたら、よかったなぁと

9年以上ぶりになる携帯電話の交換の際

フォルダに残ってた

父との最後のおでかけの写真をみて

そう改めておもいました、しだいです

 

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トキノネ  思い立つとき つぶやいています

 

みんなもどうか、

しあわせをかんじることをじぶんに許し

その幸せ、そのよろこびを表現することを

もっともっと、隠さないで、ひっこめないで

大切なひととともにいる その今しかない瞬間を

胸と愛を全開に、輝かせてください

それがほんとうの意味で、宝物になります。

じぶんにも、きっと、そのひとにも。

 

 










10月 はじまりの音

 

海をみにゆきました。

空の色を映し 淡くゆれる水面は どこまでもおだやかで

鳥がとんでて  くらげも ぷかぷか。

ただただ、ただただ  そこに 海が。  空と 雨粒が。

静けささえとおもい  海へと向かい

その求めていたもの以上を得た

大切な  生き始める旅に なりました。

 

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トキノネ  思い立つとき つぶやいています

 

いよいよ始まった実感を 持たれているかた

その 動き始める

硬質で やわらかな始まりの音が

全体へと響きわたるのを いま 広がりのなかで 聞きます。

すごい。どきどきと  静かな わくわく。

はじまりますね。

 

 










9月 消えてゆく時間軸

 

シグナルや粒子を通し

意識と物質へ影響をあたえる灰色圧

一方向へひとの意識をかっさらい

ロボット社会のさらなる確立を目指す

脚本ベースのドラマの茶番さ

それは稚拙で わかりやすすぎて

そのなりふりかまわない必死な様子から

彼らの存続への激しい危機感も感じます。

 

ただ、目にする(見させられる)大部分は

灰色の意図どおりの展開をみせてもいて

たえまのない操作と支配 制限の圧力に

自身の思考が無意識に影響をうけ

つくられたドラマにのみこまれているひとも

少なくないのかもしれません。

太陽が放射するエネルギーは 人類意識の反映でもあり

ここ数日の太陽黒点の増大や 大規模フレアの発生も

集合意識の状態を、太陽に見ることができます

 

そんな灰色芝居を 横目か遠い目にしながら

ヘビーメタルな8月を超えて

さらなる切り替わりのなかでみる はじまりの兆候

それはこれまで以上の鮮明さで

明るい確かな希望の光と 未知なる無限の可能性

その唯一のリアルであり 真実を

胸に 全身に、ひしひしと感じられているひとも

いまのとき、多くおられると思います。

 

見せられる虚構現実と いまこの瞬間の自身の真実

そのふたつを唯一つなげる(それももう消えかけている)

共有する時間軸を車線にし ことなる次元で並走しながら

それぞれの裏側、内の奥にあったものが 完全露わに

リバーシブルな それも反転のきかない状態で展開する

コントラスト強烈な 9月の始まり、

 

今年に入り、ほぼ息つく暇もないままに

この追いつけ追いこせの並走状態がつづくなか

ふたつがぶつかり交わる距離にいた場合

それは二人三脚状態ともいえて、

自身の軸を保ちながらも

いまぜんたいスムーズにいかなかったり

ひきづられるようなしんどさやきびしさを

感じられているかもしれません

 

その双方の足くびを結びつける紐にあたる

時間軸であり 制限は、

いよいよこれから ほどけはじめ

(灰色が必死の理由です)

このふたつを結ぶ紐が消えたとき

そのときいるのが、のこるのが

連れてこられた場所 つくられた自分でなく

自分自身であるならば、

 

あとはもう、もつれる足を気にすることなく

不要なしんどさはだいぶに消えて

ほんとうの軽やかさ、

しんの自由を 全身に漲らせ

自身のゆく道、自身の真実を

楽しみながら 味わいながら

ゆく道の一歩一歩

一心にほんとうを注ぎ走り抜けてゆく

そのとき並走していたイリュージョンは

自身のリアルに存在しない

そんなかんじの

分かれ目のときにきたと感じます。

どっちに残るか。

とても大切な 重要なとき。

自身の軸に留まり続けてください。

 

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トキノネ  本気圧のときなどつぶやきます

 

どっちをみるか、

自分がみているものを 行くか 生きるか

誘惑や先導や操作に幻想そこかしこのなかも

どうしたってたしかなもの、

そちらにぎゅっと 目を、意識を

 

これからでゆけば、秋の日の美しさ

木々の色づきに 風の心地よさ

そんな魂がよろこびにうごくほう

そっちのほうへのフォーカスが、

この混沌のときを シンプルに真実にむかわせる

助けになると思います。

 










8月 夢の現実

サンさんだいすきな父との遊び(ぬいぐるみをつるしてぐるぐるおいかける)

 

8月 父とサンさんが同じ日に体を離れ

一年が経ちました。 ここ数日はとくに

全身麻酔をかけるみたい 心と感覚をオフにして

このポイントを迎えました。 というのも

しばらくは泣いていないときがないままに日々をいて

一年が経ついま、泣いていない自分で

父とサンさんに会いたくて。

年末以来に実家へ帰り、一泊でしたが

家族と過ごし、夕ご飯は父の学生時代の思い出の

長崎にある茶碗蒸しが有名なお店の茶碗蒸しを

みんなでおいしいおいしいと言いあって食べ

窓側のいつもの席には父もいて ほのかな笑顔で。

京都では父ともほとんど会わなくなっていたから

ひさしぶりにみんな揃い ごはんを食べる時間は

あたりまえでなつかしく

大切なときを過ごせました。

 

あの日からいま、父とサンさんがここにはいないことが

夢をみている 夢のなかのことにしか感じられず

目の前の現実を、その現実の外から私も見ているみたい

どちらかというと、父のいる場所の方がぜんぜんリアルで

わたしもそっちよりの場所にいて

いまいる世界を離れてみながら そこでの現実は

其々の意思に粒子が立体映像化し展開している

まるで夢の世界のように 心には映ってしまい

その心地に慣れないまま、

この夢のような次元で私も 私ができること

さきに旅立った大切なひとたち

そのみんなからできたわたしを

そのみんなを私を通し生きる想いで

いま、いまこのいまを、そんなふう

やっと見えて一日、

実際はいまこの一瞬の いまの瞬間を

自分をとおし、みんなからもらった愛を注いで

過去もなく 未来を見てでもなく

刻、刻を、刻々とゆく かんじでいます。

 

いまの心地、いまできるありかたも

8月に入り またすこし、それか大きく

変わりそうにも感じています

それは私個人においてというより

変容の波のなか、たくさんのひとが

今後自身が選んだ道において

なにかしらカチッと局が切り替わるような

次元の転換における現実を含めた現れかたで

過去にない新しさをもって認識されることになる

これからみんなが

新しい世界のひろがりに入ってゆかれる

そんな流れに入ったと 感じます。

 

胸と腕をひろげ、これからの波がもたらす

マジカルな現実展開、わくわくに受け止められ

体験をされてゆかれてください。

 

日記、いつも個人的なこと中心になっていますが

ほとんどしんとしているトキノネ

集合意識の動き、灰色のスケジュール

その現われに感じることなど

うっとうしく思われるくらい

どんどんと呟いてゆきたく思っています。

こちらもよかったら、よろしくお願いいたします

トキノネ

 

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猛暑つづく毎日、水分と休息意識的にとられまして

どうかばっちり、お身体ご自愛を願います。

いつもとても、ありがとうございます。

 

 










7月 カササギの橋

 

雨に運ばれ7月に。日々異なる雨音は声と同じに思います。

世の中の現れも 個人の目の前も ぜんぶがあんまりにも

露わになって、美しさも違和感も どちらもが強烈なぶん

コントラストの極まりは一色になるような

バリへの旅、緊張のなか空港から外へ出た瞬間の

ひろがる景色の強烈さを思い出します。

緑やオレンジ赤に黄色 黒に茶色に よどっともぎらっとも

夫々がビビッドにカラフルに独自の色味を発しながら

そのすべてが熱量の放射でひとつに見える

表と裏 陰と陽 ふたつでひとつなんだなぁと

最近特に、それをつよく感じます。

そして、そのどっち側を生きるかなのだと思います。

 

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いっぱいの魂が 出会うべく魂にひきあって

そして橋や道がうまれたらいいなぁと

なんだか七夕は ロマンチックな想いになるのがいいです

暑さと湿度にはどうかお気をつけられまして

みなさまよき夏を お過ごしください。

 










6月 メッセージ

 

映画『Arrival(邦題「メッセージ」)』

それは現実に本当にあって、そこに自分もいたかのように

映画を観終わったあとの余韻とは違う

その場所での体験と知覚がなお継続し

自分もそのメッセージを受け取ることで

意識が違う視点、領域にセットされる

スクリーンを通し 意識が多次元へとむかう

素晴らしい作品でした。

 

私のこころのベストスリー(映画)

十数年ぶりに入れ替わり、

燦々、救われる想いを 感じています。

上映は始まったばかり

ぜひ映画館での観賞をお勧めします。

言語を越えた想いひろがる作品ですが

映画を観られた方、

また感想共有しあえたら嬉しいです。

 

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6月。いかに意識を今に自身に保ち続けるか。

胸と意識の目をしゃっきりに

どんなスクランブルがかかったなかも

それを影響の外で眺められるよう

自身の軸からの 振動の保持を。

 










名前をよぶ声

 

18年生きたららはその間にものすごい数の名前をもってた

ららは大好きだったキキララからとって ららになって

そのあとに記憶にあるのは、ニャジラにぐれねこ

そこからぐれたん、暴走にゃんこと 激しめだけどとても

ららをよく表していて、あとうめちゃんと、よくよんでいた。

 

サンさんもあだ名は多くて、

サンディーから短くなって、サンちゃん サンコ、サン、サンたん、

わたしはなんでかある期間 マルキーニョスとよんでたり

サンさんがまるく太ってからは、母は最初にとんちゃんと

そしてトントン、とんぺーとよび、

最後にはとんと、よりダイレクトになっていた。

サンさんはとんとよばれるのが嫌そうだとも母はゆってた。

 

呼び名というのはとても不思議で

これはオーラをみるのと似ているところもあるのだけど

誰かの名前を声にするとき、その声(名前)のなかに

そのひとにとっての そのひとへの想いや認識がつまっている

例えば太郎さんが花子さんの名前を「あのとき花子さんは...」と

きのうの話をするとき、その花子さんの名前に意識を傾ければ

ああ太郎さんにとっての花子さん、こんなここちなのかと

自分の胸に太郎さんの認識を感じ取れる。

そのときのなうでなくても、そのときの名を呼ぶ声を思い出せば

同じように それがわかる。

難しいように思われるかもしれないけど

いちどちょっと試してみられたら

(コツは、太郎さんが声にした"花子さん"のぶぶんを

自分の胸にぽとりとおとし、ひろがる波紋の振動を感じとる)

けっこう え!っと ただわかる、その感覚があるかもしれなく

これは最初宇宙に教えてもらい、

最初に試してみたときに、びっくりしたのを覚えています

 

そうしてなんとなくコツをつかむと、さいごはじぶんが

誰かの名前を声にするとき、じぶんでも認識していなかった

じぶんにとってのそのひとが どんなかが、ぱーんとまっすぐ

胸にはっきり 否応無しに わかったりもし

それがそれまでの認識とギャップがあると

とまどう場合もあるけれど、

それじゃあほんとうのほんとうはどうなんやろうとなったとき

声の一滴は 思考よりも確かな場合があり

誰かの名前を声にするとき

それはどうしてもそのままそのものになる作用から

どっちがと見極めたうえでもやっぱり、答えはシンプルな方

ただそうである  声から得た、その感覚にいたることが多いです。

 

じぶんは見えないものはわからないと思われてるかたも

これはむちゃかんたんな情報へのアクセス

そこから感じわかることで

もっとこころをかまえずに、安心してひととの関わりが

もちやすくなったりする、その逆もあるかもしれないけど

予測や期待 不安からの思考のもやもやで

自身のありかた制限をされるより

なんとなくでも、もやもやの奥がわかることで、

ハートのままにじぶんをありやすくなる

名前を呼ぶ声をハートで感じる  よかったらお試しを。

 










5月 Life is Fruity

 

                  『人生フルーツ』


オレンジに黄色、宝石の煌めきが

頬や鼻に 胸へと降り注ぐ 新緑のきせつ

先日みた映画『人生フルーツ』

丁寧な暮らしから紡がれる循環の育み

そこからうまれる 豊かな音、光と 色彩

おうちの庭にはそのきらめきが端々にあふれ

匂うようにひろがって、ふたりの暮らしに触れて

丁寧に日々を生きるということを

あらためて内に見つめました。

 

丁寧に生きるというのは

まずは自分に丁寧であることから

それがものやことやありかたへと繋がるけれど

でもそれは、注ぐ先は自分を通して

まだ見ぬ未知の未来へむけた

未来に生きる すべてに対してでもあって

 

最近思う、時間というのはあって存在しない感覚を

ここでも ものすごく、感じました。

いまを大切にすることは、それは未来へも

いまを大切にできるのは、それは過去にも

どれがいまで未来で過去ではない意識場にいて

そこにどんな点をこの次元へと発するかのみが

それが生きるということのチャレンジなら

その点に、一滴に

じぶんがじぶんでいまをある、

そのじぶんにつまってる全てへの感謝を通して

そのつまってるものを自分を通して

いまこのときのなにかどこかへ、落としてゆけたら

それが土を肥らす 一滴になれたらと

そのために、自分を丁寧に注ぎ生きよう

そんな思いをかかえながら

映画をみた帰り道、自転車をこぎました。

 

まだ、作品から受け取ったこと、まだまだ

しっかりちゃんとは見れていなくて

その理由のひとつは、ふたりが、おうちも含め

じぶんの父母にまるでにていて、

つい重なって、みてしまい

そうなると、感情がさきばしり

内の静けさぐるぐるになってしまうのだけど

それでも、なにか大きいなにかを

しかと胸は受け取っているのはわかるから

すこしづつ、なだらかに静けさでならしていって

受け取ったなにか、ちゃんとみてみたいです。

 

私が行った日は立ち見のかたもいっぱいで

連日満席と映画館のかたゆわれてましたが

もしもタイミングあいそうなとき

ふたりの笑顔、声に木々、枯葉に実り

よかったら、ぜひ映画館で

 

5月の スケジュール アップしました。
トキノネでは いま共有を!

と思うことなど つぶやいています

 

外の風に激しさや厳しさを感じても

それで多少やどっぷり、ゆらいだとしても、

その自分をせめたりそこを凝視したりするよりも

この今に、今この瞬間の自分の内に意識をむけて

核なる軸の貫きを確認し、

軸がここや こっちやと

ぐいっと自発的に傾くほうを しんに見極め

そしてそこから一歩をゆくことで、疲れの発生が減ります。

魂のウォントを生きる。とてもシンプル。

 










4月 よろこびへのチャレンジ

 

去年の春は岡山に帰っていました。迎えにきてくれた母と
川沿いの桜並木を、歩くはやさで車のなかから通り観たとき
ずっとがやついてたこころ、さくらと土地のやさしさに
ほわっと胸が、しずかになりました。 よき春でした。


遅咲きのさくらさく道、
どんな想いでむきあえばとわからなく
まっすぐにみることなしに
通り過ぎてしまった昨日と今日
今年も花を咲かしてくれたさくらたちに
想いまとまらなくてもいやはやと、ありがとうと
笑顔をむけられるよう、明日をありたいです。

 

4月の スケジュール アップしました。
トキノネでは いま共有を!

と思うことなど つぶやいています

 

自身の喜びをただまっすぐに見ることも
難しく感じるような、世の中の動きと現れ
そんななか、どんななかでも
自分が見ている、そして認識していることが
自分の現実になりますから

すべては意識。

外のせいじゃない

現実は、自分の意識。その現れだから

外がどんなであるなかも
今目の前、この瞬間に
自分の内側にある宇宙

そこにいるタマシイが
美しいと 感じること
喜びを 感じるもの
そっちのほう
どんななかも

なによりも、フォーカスを
それをいま、

チャレンジしています。

 










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